DEN-EN              
田園クラブ機関誌 01-4月号  NO.81    (作成01-4-14) 

●3月の大会結果

   2/4   別大マラソン 村尾 2時間42分44秒(210位)
   3/18  川崎ハーフ  岡田 1時間35分46秒
   3/20  多摩湖駅伝
   3/25 荒川市民マラソン 増田 2時間24分29秒(優勝!自己3番目のタイム)→別項記事参照  
   4/1  東京RC春期陸上(駒沢) 1500m 岡田5分00秒09 、5000m19分42秒85 
5000m三宅?

●3月の練習内容
 
 織田使用不可のため3月末まで中止でした
  
●4月以降の大会予定
   4/15 池上本門寺マラソン 岡田
   5/20 勤労者10マイル(富士見高原)→三宅まで(チャイムハウスにみんなで泊まる予定)

●練習会について
  練習は土曜日18:00より織田フィールドで行いますます。
  但し第3土曜の練習は16:00から織田フィールドで行います。(4/21は18:00)
  
  

●お知らせ
  1.岡田の勤務先が変わりました(メールにて連絡します)(4/9よりEメールも変わります)
  2.富士登山駅伝で長年お世話になった菊屋旅館がおばさんの高齢化等により2月いっぱいで閉館しました。
    先日はがきが来たので電話してみたらおばさんがみんなによろしく言っていました。
  3.増田君、萱野君の住所が変わっています(メール等でお知らせします)

● 次回会報原稿締切4月末です


●フルマラソン初優勝の喜び(増田昌彦)

さる3/25に荒川河川敷で荒川市民マラソン大会が開催されました。
今シーズンは昨年11月にフルを一本走ったきり、国内の主要な大会には参加しなかった
ため、満を持しての参加でしたと言いたいところですが、左膝の状態が思わしくないのと
、二人目の子供が出来て練習が出来ていなかったため、不安を残したままのスタートとなりました。
レース1週間前に多摩川沿いでの10kmレースは30分42秒で走れていたので
スピードは取り戻せつつありましたが、20km以上を走っていなかったため、
前半はイーブンペースで行くことにしました。
最初から自分のペースで走り出したのですが、最初1人飛びでた選手も着いてこなく、
1kmくらいから1人旅になりましたが、25〜30kmくらいまで5キロを16分30〜50秒で行き、
30kmは1時間40分を少し切るタイムで通過しました。この時点では
、前半ペースを上げていないぶん、後半ペースアップして好記録を狙えるかもと欲が出はじめていました。
中間点くらいから足の疲労は徐々に感じてはいましたが、しかし脱力感が突然きました。
一度ゴール地点を通過して反対方向に走っていくのですが、後10kmくらいから急に力が入らなくなりました。
だんだん意識は薄れていくし、なかなか残り距離が縮まらず、後ろばかりが気になりだしました。
そうこうするうちに目標とするタイムがどんどん下がっていき(まだ計算する意識は残っていたみたいです)、
歩いても30分切れるかとか、弱気になっていきましたが、前半の貯金でなんとか逃げ切ることが出来ました。
タイムは2時間24分29秒で、自己3番目でした。
最後は蛇行していたと知り合いの人から言われましたが、ゴールしてすぐに目の前が暗くなり、
貧血か脱水症状のような感じになってしまいました。
いくら前半落として余力を残していったとしても、練習で距離を踏んでいないため、
やはり時間が経つとエネルギー切れをおこすといういい例を経験してしまいました。
マラソンの基本はやはり距離を踏むことだと実感しました。

しかし、月400キロ程度の練習量で納得出来る?タイムを出せたことと、レベルはともかく
初めてフルマラソンで優勝できたことで、2000年度最後を締めくくれたことは良かったと思います。